古墳文化と下野国

 4世紀頃から、栃木県域の各地で地域の代表者のために古墳が造られました。古墳時代のはじまりです。やがて代表者は「王」とでも呼ぶべき権力者として地域を治めました。古墳時代の中頃には大型の前方後円墳が作られ、副葬品も埋葬者の権力を連想させる豪華なものが増えました。古墳時代も終わりに近づくと前方後円墳に代わり、大型の円墳や方墳が作られました。また、小型の古墳や丘陵に穴をあけて作る横穴墓も多く作られました。
 7世紀には「律令」という法律が作られ、やがて奈良時代には平城京、平安時代には平安京が営まれ、それぞれ中央政府によって全国が治められる時代となりました。この頃、栃木県は「下野国」と呼ばれていました。国の中は郡や里または郷という単位に分けられ、各郡には「郡衙」という役所が作られました。また、仏教の伝来によって「寺」というこれまでにない新しい建物も建てられました。
 古代と呼ばれる古墳時代から平安時代まで、人々は主に竪穴建物で暮らしていました。この住居は縄文・弥生時代と同じですが、住居のつくりや道具には変化がありました。住居は正方形や長方形になり、古墳時代の中頃には住居の中にカマドが作られました。そして、弥生土器の伝統をひく土師器に加えて、窯で焼いた須恵器、鉄製品も普及し、文字も人々の暮らしの中で使われるようになりました。