青木繁《幸彦像》

 青木繁は、現在の福岡県久留米市で生まれました。1899年(明治32年)に上京して画塾「不同舎」に入門、その翌年には東京美術学校(現在の東京藝術大学)へ入学して黒田清輝に師事します。不同舎では、本県芳賀町出身の福田たねと出会い、ほかの仲間たちとともに写生旅行へと出かけるなど親交を深めていきました。青木の代表作のひとつである《海の幸》(アーティゾン美術館所蔵)には、たねの姿が描き込まれていると言われています。
 やがて恋人となった青木とたねの二人の間には、ひとりの男の子が誕生します。それが、本作に描かれている「幸彦」でした。当時3歳だった幸彦は口におしゃぶりをくわえています。青木は、我が子のぷっくりとした頬にわずかに赤い絵の具をのせ、まだ幼い幸彦の愛らしさを際立たせています。しかし本作を描いた直後、父の危篤の知らせを聞いた青木は、たねと幼い幸彦を残して故郷へと帰ってしまいました。そして青木はそのまま福岡の病院で没し、二度と我が子のもとへ戻ることはありませんでした。
 青木繁と福田たねの芸術の才を継いでか、幸彦は後に「福田蘭堂」という名で、音楽家としても活躍しています。