五百城文哉《日光東照宮》
今や国内外から多くの参拝客が訪れる日光東照宮。この作品は、明治時代の東照宮境内の様子を描いたものですが、東照宮が今と変わらぬ賑わいを見せていたことが明らかになるでしょう。さらに目を凝らせば、絢爛な装飾も細部までしっかりと捉えており、画家が高い技量を有していたことに驚かされます。明治時代から大正時代にかけて、このような日本の名所をモチーフとした「おみやげ絵」と称される水彩画が数多く描かれ、日光や横浜で外国人観光客に向けて販売されました。 この作品を手がけた五百城文哉は、現在の茨城県生まれの画家です。農商務省で標本の仕事に従事した後、高橋由一に油彩画を学びます。27歳頃から全国各地を遊歴し、万国博覧会出品作《日光東照宮陽明門》の制作のために日光を訪れたことを機に、この地に定住。当時15歳の小杉放菴を弟子として迎え入れ、彼に絵画の基礎を教えました。 |