日光山内

 日光山内は、江戸初期に、徳川幕府の創立者、徳川家康の霊廟である東照宮の造営によって、現在の建造物群が形成されました。その後は、将軍の社参や朝廷からの例幣使の派遣などが行われ、また、朝鮮通信使も参詣するなど、江戸時代の政治体制を支える極めて重要な歴史的役割を果たしており、江戸時代の代表的な史跡のひとつです。
 東照宮と大猷院霊廟は、山の地形を利用して造営され、石垣や階段により境内を広くまたは狭く見せ、また、参道に曲折をつけて奥行きのゆとりや緊張を見せる工夫をしています。さらに、大切な建造物になるにしたがってだんだん高いところに建てられ、建造物も巧みに配置され、尊厳の風格を盛り上げています。これらの地割りや石垣などの造営は、日本の城郭建築で築き上げられた最高の建築技術で造営され、また、水道や排水設備が当時の最新の技術により整備されました。
 日光山内の山林地域は、8世紀末に始まる日光の山岳信仰の聖域とされ、老樹の杉林を形成し、現在も境内の杉が御神木とされています。これらの景観は、自然に対する原始的な信仰が発生して以来の日本人の伝統的な自然観と深く結びついて、今日まで伝えられてきたものです。日光山内の山林地域は、日本独特の神道思想との関連において、自然と社殿が一体となった文化的景観を形成する不可欠な資産となっています。