勝道上人
日光山を開いた勝道上人は、735年、現在の栃木県真岡市で生を受け、下野薬師寺にて僧の資格を得、勝道と号しました。薬師寺での修行の後、補陀洛山(現在の男体山)の山頂を目指して日光に入り、大谷川の激流を渡って、766年に輪王寺の起こりとされる四本龍寺を建立しました。これが、現在まで続く聖地日光の始まりです。 日光山を開いた後も修行をかさね、様々な苦難を乗り越え、782年に男体山の山頂を極めます。その後、中禅寺湖畔に自作と伝えられる立木観音を祭った神宮寺(現在の中禅寺)や二荒山神社を建立、桓武天皇から「上人」の称号を受けました。 これら勝道上人の事績は、日本仏教の二大教祖と言われる最澄の比叡山開山(785年)、空海の高野山開山(816年)よりも早く、日本における山岳仏教の先駆けでありました。 栃木県に生まれ栃木県に骨を埋めた勝道上人は、日光の信仰と文化の原点として、現在でも深い尊崇を集めています。 |