那須国造碑
大田原市湯津上にある那須国造碑は、西暦700年頃に建立されたと考えられる古代の石碑です。文章の内容や字体が高く評価されたことなどから、昭和27年(1952年)に国宝に指定されました。群馬県高崎市の多胡碑、宮城県多賀城市の多賀城碑と合わせて、日本三古碑とも呼ばれる日本を代表する石碑の一つです。文字が刻まれた本体の石の上に笠のように別の石を載せていることから、「笠石」とも言われています。 刻まれているのは、那須国造であった那須直韋提が、地方官としての役職である評督に任命されたことについてであり、息子の意思麻呂が父親の功績をたたえて建てたものでした。それを読み解くと、那須国から那須評へ行政区分が変化したことがわかり、古代那須の社会的変動の貴重な記録でもあります。またその流麗な字体から、制作には渡来人の影響があったことが色濃く感じられます。 そして、この石碑の発見が、「水戸黄門」として知られる水戸光圀の耳に入ったことがきっかけとなり、石碑の近隣に所在する侍塚古墳で、日本初の学術的な発掘調査が行われることになったのです。 |