国・県指定等文化財詳細
蒔絵箱入紙本墨書東照社縁起 上巻 後水尾天皇宸翰
蒔絵箱入紙本墨書東照社縁起 上巻 後水尾天皇宸翰
項目 | 内容 |
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文化資源区分 | 書跡・典籍・古文書 / 書跡・典籍 |
文化財区分 | 国 指定 有形文化財(書跡) |
文化財名称 | 蒔絵箱入紙本墨書東照社縁起 上巻 後水尾天皇宸翰 |
文化財名称よみ | まきえはこいりしほんぼくしょとうしょうしゃえんぎ じょうかん ごみずのおてんのうしんかん |
指定年月日 | 1950年08月29日 |
所在地 | 日光市山内 |
市町等 | 日光市 |
所有者/管理者 | 東照宮 |
概要 | 上巻 後水尾天皇宸翰 寛永13年(1636)は神祖家康の21回忌にあたるので、徳川家光は、大社の例にならって東照宮社殿の改造を命じ、また、大僧正天海にその縁起を撰述させた。同12年(1635)その撰文ができ、染筆を後水尾天皇に奏請して勅許を得、翌年4月下賜せられた宸翰がこの3巻の中の上巻である。 家光は新装の神廟にこれを納めさせ、自ら日光に社参して盛大な祭儀を執行した。中・下二巻は、その後寛永17年(1640)頃、絵縁起と同時に天海が続稿を綴り、親王公卿の清書でできたもので、この時3巻共通の表装が加えられたものであろう。上巻は、東照公と山王一実神道との関係を記し、中・下二巻は古来日光山の霊場たる所以を説いており、これを貫して東照宮鎮座の根本縁起を宣揚した重要な資料である。絵縁起が詞の体裁よりして仮名縁起というのに対し、この縁起は全文ほとんど漢文体であるところから真名縁起と呼ばれている。これを納めた箱は、蒔絵に金物の美を尽くした当時の優品である。 |
画像二次利用条件 | 著作権あり |
リンク | 日光東照宮宝物館(日光東照宮HP) |