国・県指定等文化財詳細

桜町陣屋跡

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項目 内容
文化資源区分 史跡・名勝 / 史跡
文化財区分 国 指定 記念物(史跡)
文化財名称 桜町陣屋跡
文化財名称よみ さくらまちじんやあと
指定年月日 1932年03月25日
所在地 真岡市物井
市町等 真岡市
所有者/管理者 真岡市
公開状況 公開 / 史跡公園として整備されている
アクセス方法 真岡鉄道久下田駅より車利用約10分
概要  小田原城主である大久保加賀守忠朝の三男教信が分家して、旗本であった宇津家を再興した。その際下野国桜町領にて4000石を知行し、元禄12年(1699)この地に陣屋を創設した。
 その後、五代教成にいたり、領内がすこぶる疲弊し、陣屋役所の頽廃も極度に達したため、財政改革・領地復興のために本家である小田原藩から依頼され、二宮金次郎が文政5年(1822)に赴任することになった。以来26年間、桜町陣屋を中心に活動し、桜町領の復興に成功した。
 陣屋は旗本宇津家の知行所三か村(物井・横田・東沼)4000石の統治のために、元禄12年(1699)創設され、明治4年(1871)に至る172年間の役所である。敷地構内は東西約90m、南北約109m、回字形で面積1.1ヘクタール余をはかる。内部には田畑、宅地、池、井戸、神社等がある。周辺に土塁をめぐらし、外周三方に堀が通じている。
 その後、二宮金次郎は日光神領の復興を命じられ、今市報徳役所にあって着々成果を上げたが、70歳で亡くなり、如来寺の墓地(現在の報徳二宮神社境内)に埋葬された。
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