国・県指定等文化財詳細
侍塚古墳
侍塚古墳
項目 | 内容 |
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文化資源区分 | 史跡・名勝 / 史跡 |
文化財区分 | 国 指定 記念物(史跡) |
文化財名称 | 侍塚古墳 |
文化財名称よみ | さむらいづかこふん |
指定年月日 | 1951年06月09日 |
所在地 | 大田原市湯津上 |
市町等 | 大田原市 |
所有者/管理者 | 大田原市 |
アクセス方法 | JR那須塩原駅から自動車で30分・西那須野インターから車で30分 |
概要 | 侍塚古墳は上侍塚古墳・下侍塚古墳の2基があり、どちらも4世紀築造と考えられる前方後方墳である。上侍塚古墳は墳丘長114mであり、栃木県内の前方後方墳では足利市の藤本観音山古墳に次いで第2位の大きさを誇る。下侍塚古墳の墳丘長は84mで県内第4位である。 元禄5年(1692)に水戸黄門の名で知られる徳川光圀の命により日本で最初の学術的な発掘調査が上下両侍塚古墳で実施された。この調査は現在笠石神社に祀られている那須国造碑の碑主解明のための調査であったが、被葬者を解明することはできなかった。 発掘調査では、鏡や管玉、石釧などの多くの遺物が発見されたが、光圀の指示によりこれらの遺物は画工に図化された後に松板の箱に収められ再び墓中に埋め戻され、墳丘上には盛土の崩落を防ぐため松が植えられた。それに始まる松の木立は現在も上下両侍塚とよく調和し、美観を高めている。この調査後の古墳に対する保存対策の姿勢は、現在の文化財保存対策の一つの手法として生き続けている。また、毎年霜降(そうこう)の日にはこも巻きが行われ、翌年の啓蟄(けいちつ)の日にはずされる。これらの行事は季節の風物詩として定着している。 |
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