国・県指定等文化財詳細
山縣有朋記念館(旧・山縣有朋別邸)
項目 | 内容 |
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文化資源区分 | 建造物 / 建造物 |
文化財区分 | 県 指定 有形文化財(建造物) |
文化財名称 | 山縣有朋記念館(旧・山縣有朋別邸) |
文化財名称よみ | やまがたありともきねんかん |
指定年月日 | 1990年01月26日 |
所在地 | 矢板市上伊佐野 |
市町等 | 矢板市 |
所有者/管理者 | 財団法人山縣有朋記念館 |
公開状況 | 公開(有料) / 月曜日休館。冬期は土日祝祭日のみ開館 |
アクセス方法 | JR矢板駅よりタクシーで20分・矢板インターより車で25分 |
概要 | 山縣有朋記念館は、当初は有朋晩年の別荘として知られる小田原の古稀庵内に明治42年(1909)、伊東忠太の設計によって建設された。古稀庵の最初期の洋館であるとともに、有朋在世中に古稀庵内に建設された居住用の建物としては唯一の遺構でもある。大正12年(1923)の関東大震災で崩壊したため、翌年、山形有朋の長男伊三郎氏の手によって現地に移築されたものである。現存する建物は木造二階建で、南側玄関部分と北側便所部分を平屋とする他は総2階である。 純然たる洋風建築であるが、全体としては、明治の元勲の別邸とは思えないほど質素である。徳に外観は、南側正面の1、2階サンルーム部分と玄関の建具を除けば、これといった装飾は用いられていない。しかし内部に関しては、階段室や2階の居間を中心に当時の邸宅建築の水準を示す質を備えており、なかでも、山形有朋のY.Aをアール・ヌーヴォー風にあしらったドアのデザインが目を引く。 また設計者の伊東忠太は、明治25年(1892)に帝国大学工科大学造家学科(後の建築学科)を卒業し、わが国近代最初の建築史学者として、また東京帝国大学教授として、その後の建築界の指導者的な役割を果たした建築家である。 |