県内文化資源詳細
大日本名将鑑 田原藤太秀郷 月岡芳年筆
項目 | 内容 |
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文化資源区分 | 歴史資料 / 歴史資料 |
名称 | 大日本名将鑑 田原藤太秀郷 月岡芳年筆 |
名称よみ | だいにほんめいしょうかがみ たわらのとうたひでさと つきおかよしとしひつ |
所在地 | 栃木県宇都宮市睦町2-2 |
市町等 | 宇都宮市 |
所有者/管理者 | 栃木県立博物館 |
公開状況 | 施設にお問い合わせください |
概要 | 幕末~明治時代前期に活動した浮世絵師の月岡芳年による作品です。手前右側に藤原秀郷、左側奥に平将門が描かれており、本図からは二人が会見しているように見えます。このことについて、『俵藤太物語』には、坂東諸国に勢力を広げる将門の評判を聞いた秀郷が、将門と日本の半分ずつを治めることを持ちかけようとして、下総国相馬郡の将門の館を訪れたとあります。喜んだ将門は身支度も整えずに髪を乱し白衣のままで出迎え、さらに饗宴の席では将門は袴にこぼした飯を拭い払いました。こうした粗忽な振る舞いを目の当たりにした秀郷は、将門の器量を見限って討伐を決意したといいます。 しかし、二人の接近を示す会見を裏づける根拠はなく、当初から二人は敵対していたと考えられます。実際、将門による挙兵の情報を得た朝廷は、天慶3年(940)正月、坂東諸国の武将らに秀郷をリーダーとする将門追討軍を編成させています。ここに朝廷が「秀郷=官軍、将門=賊軍」と位置づけていたことがわかります。 |
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リンク | 栃木県立博物館HP |