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後三年合戦絵巻 上巻

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後三年合戦絵巻 上巻

項目 内容
文化資源区分 歴史資料 / 歴史資料
名称 後三年合戦絵巻 上巻
名称よみ ごさんねんかっせんえまき じょうかん
所在地 栃木県宇都宮市睦町2-2
所有者/管理者 栃木県立博物館
公開状況 施設にお問い合わせください
概要  足利尊氏を輩出したことで知られる足利氏の祖源氏の活躍を描いた絵巻です。後三年合戦は、永保3年(1083)から寛治元年(1087)にかけて東北地方で起きた争乱です。前九年合戦(1051~1062)をきっかけに勢力を拡大した豪族清原氏の内紛に、源義家が介入してこれを鎮圧しました。東国武士を率いて争乱を鎮圧した義家は、東国に確固たる地盤を築きました。足利氏の祖である義康は義家の孫にあたります。下野の武士をはじめ東国の武士が参加していたこの合戦の結果、源氏は関東に確固たる地盤を築くこととなり、義家は武家の棟梁として仰がれることとなりました。本場面には、雁の乱れに伏兵(左)を知る義家(右)が描かれています。
 前九年合戦において、父藤原経清を亡くした清衡は、母が出羽国の豪族清原武貞に再嫁したため清原氏一族として成長しました。しかし清衡は、武貞を父に持つ真衡(異父異母兄)と母の再婚後に生まれた家衡(異父同母弟)を兄弟に持つ複雑な家族環境にありました。後三年合戦は、この三兄弟をめぐる清原氏同族間の紛争が原因でした。清衡は、兄真衡(のち病死)との争いに続き、陸奥守義家の支持を受けて家衡を滅ぼし、安倍・清原両氏の勢力圏を手中に収めました。のちに清衡は亡き父の藤原姓を名乗り、拠点を平泉に定めました(奥州藤原氏の成立)。前九年・後三年合戦以後、一族は清衡、基衡、秀衡と続き、泰衡が源頼朝に滅ぼされるまで約100年間にわたって東北地方一帯を統治しました。本拠である平泉(岩手県平泉町)には京の文化が移入し繁栄を極めました。
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リンク 栃木県立博物館HP