県内文化資源詳細

屋島合戦図屏風

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屋島合戦図屏風

項目 内容
文化資源区分 歴史資料 / 歴史資料
名称 屋島合戦図屏風
名称よみ やしまかっせんずびょうぶ
所在地 栃木県宇都宮市睦町2-2
所有者/管理者 栃木県立博物館
公開状況 施設にお問い合わせください
概要  源平合戦のうち、元暦2年(1185)の讃岐国屋島(香川県高松市)での合戦における那須与一の活躍を描いた屏風絵です。与一は実名を宗隆といい、那須資隆の11番目の子として生まれました。源平合戦では源義経に従い平氏追討に参加しました。屋島の戦いの際、与一は義経から平氏方の小舟に掲げられた扇の的を射るように命令を受け、見事扇の的を一矢で射落とすことに成功しました。
 本屏風左側には弓を構える与一とそれを見守る白旗を旗印とした源氏の軍勢、右側には扇の的を掲げる小舟と赤旗がなびく平氏方の軍船が描かれています。深紅に塗った地の中央に金色の日の丸を描いた扇、その下に立つ「傾城」の美女は『平家物語』に表現されるとおりです。屋島の戦いに敗北した平氏は、長門国壇ノ浦(山口県下関市)での決戦に持ち込みましたが、源義経軍に敗れて一族は滅亡しました。
 一方、小山朝政・宗政・朝光の小山三兄弟が従軍した源範頼軍は、安芸国(広島県)、周防国(山口県)へと進軍し、九州の豊後国(大分県)に渡海しました。兵糧不足などにより苦戦を強いられたにもかかわらず、源頼朝は朝政ら御家人が「各々西海に在りて、殊に大功を抽きんずる」ことを評価し、丁重な書状を遣わしています(『吾妻鏡』)。
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リンク 栃木県立博物館HP