県内文化資源詳細

後醍醐天皇綸旨

代表画像
後醍醐天皇綸旨

項目 内容
文化資源区分 書跡・典籍・古文書 / 古文書
名称 後醍醐天皇綸旨
名称よみ ごだいごてんのうりんじ
所在地 栃木県宇都宮市睦町2-2
所有者/管理者 栃木県立博物館
公開状況 施設にお問い合わせください
概要  後醍醐天皇が「小山四郎」を新たに下野国司に任命した綸旨(命令書)です。四郎(あるいは小四郎)とは、元服前の小山氏当主の名乗りで、ここで言う「小山四郎」とは、小山朝郷を指します。小山朝郷は南北朝時代の小山氏当主で、幼名常犬丸で初め朝氏と称しました。
 鎌倉幕府創建以来、御家人として重責を担った小山氏は、元弘3年(1333)の幕府滅亡を機に、嫡流として藤原秀郷の子孫(秀郷流藤原氏)の復興を意識するようになりました。朝郷の父秀朝が、秀郷を意識して高朝から秀朝に改名したのも、新田義貞が倒幕軍に参加した頃とみられています。朝郷の時代にも関白近衛経忠を盟主とする「藤氏一揆」が計画され、藤原氏全体の復興を図ろうとする風潮がありました。朝氏から朝郷への改名も、父秀朝をならい曩祖としての秀郷を強く意識したと考えられます。
 建武2年(1335)7月に勃発した中先代の乱において、朝郷の父秀朝は武蔵国府中(東京都府中市)で北条高時の遺児である時行の軍勢に敗れ、自害しました。本綸旨は、すでに独自の動きを見せはじめた足利尊氏を意識した後醍醐天皇が、実力者である小山氏を配下にすべく、新たに当主となった朝郷に忠誠を求めたものとみることができます。
画像二次利用条件 CC BY-NC-ND(表示-非営利-改変禁止)画像
リンク 栃木県立博物館HP