県内文化資源詳細

豊臣秀吉朱印状

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豊臣秀吉朱印状

項目 内容
文化資源区分 書跡・典籍・古文書 / 古文書
名称 豊臣秀吉朱印状
名称よみ とよとみひでよししゅいんじょう
所在地 栃木県宇都宮市睦町2-2
所有者/管理者 栃木県立博物館
公開状況 施設にお問い合わせください
概要  宇都宮に滞在する豊臣秀吉が、尾張国犬山城(愛知県犬山市)の土方雄久(勘兵衛)にあてた朱印状です。
 宇都宮に参向した関東・東北の諸大名はそれぞれ個別に秀吉と臣従を誓い、豊臣大名としての存続を認められましたが、同時に人質としての妻子の上洛も命じられました。小田原合戦で秀吉方として参陣した常陸国(茨城県)の佐竹氏も、天正18年(1590)8月1日付で本領の常陸と下野の一部を安堵されていますが(「佐竹文書」)、本状が示すとおり人質を差し出しています。
 本状によると、佐竹義宣の父義重とその妻子が上洛するため伝馬100疋・人足30人の用意を秀吉が命じており、義宣が父を人質として差し出したことがわかります。
 なお、本状と同日付、同文で上野国藤岡城(群馬県藤岡市)の依田康勝への命令も確認できることから(『武家事紀』)、秀吉の朱印状は、義重一行が通過する東山道沿いの諸大名に発給されたと考えられます。
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リンク 栃木県立博物館HP