県内文化資源詳細
十牛図(第三)
十牛図(第四)
十牛図(第五)
十牛図(第六)
十牛図(第十)
十牛図
項目 | 内容 |
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文化資源区分 | 絵画 / 日本絵画(江戸時代以前) |
名称 | 十牛図 |
名称よみ | じゅうぎゅうず |
所在地 | 栃木県佐野市葛生東1-14-30 |
市町等 | 佐野市 |
所有者/管理者 | 佐野市立吉澤記念美術館 |
公開状況 | 施設にお問い合わせください |
アクセス方法 | 東武佐野線葛生駅徒歩8分 佐野田沼ICから車で15分 |
概要 | 狩野探幽 十牛図 縦31.2㎝、横887.4㎝ 狩野探幽(1602~1674)は、慶長7年(1602)狩野永徳の孫として生まれました。11歳で徳川家康に拝謁、元和3年(1617)より二代将軍秀忠に仕え、鍛治橋狩野家を興しました。江戸城や日光東照宮などの障壁画や建築装飾に従事し、幕藩体制整備と共に狩野派のゆるぎない地位を築きました。永徳らの豪壮華麗さから転じ、軽味をもつ画風を確立しました。延宝2年(1674)死去。 十牛図とは、牧童が牛を探し求める物語に沿って悟りを得る過程を示した画題で、十の絵と偈頌(げじゅ)から成ります。中国の版本をもとに日本の中世禅林で広く描かれました。探幽筆の本作では、第4図の牧童のしぐさなどに改変が加えられています。また江戸初期に黄檗禅を日本に伝えた渡来僧・隠元とその高弟の木庵による題・跋がつき、各図にも黄檗の拠点である京都・萬福寺の初代~第七代住持や隠元の弟子らによる偈頌が添います。偈頌の年記から本作は延宝元年(1673)頃、探幽死去前年の作と考えられます。 |
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リンク | 佐野市立吉澤記念美術館 |