県内文化資源詳細
箭坪の大輪地ヶ原絵図
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 文化資源区分 | 書跡・典籍・古文書 / 古文書 |
| 名称 | 箭坪の大輪地ヶ原絵図 |
| 名称よみ | やつぼのおおわじがはらえず |
| 所在地 | 那須塩原市箭坪 |
| 市町等 | 那須塩原市 |
| 所有者/管理者 | 箭坪自治会 |
| 公開状況 | 非公開 |
| 概要 | 大輪地ヶ原(大輪地原)は那須野ヶ原の一部で、現在の戸田付近から豊浦付近に至る、総面積約5,500町歩(約5,454ヘクタール)の原野の総称。江戸時代にはあたり一面は広大な原っぱであった。 当時、大輪地ヶ原は、隣接する大田原藩領18か村と徳川幕府領26か村の合計44か村の入会地(馬の飼料や屋根にふくカヤ・畑の肥料などとなる草を刈り取る共同利用の土地)の場所であった。その境などの諸問題から、大田原藩領と幕府領との村々間でたびたび争いが起こっていた。 この絵図は宝暦7年(1757)4月に争いが解決した際に作成されたもので、双方の代表であった大田原藩領側の箭坪(やつぼ)地区と幕府領側の北弥六地区にそれぞれ現存している。大輪地ヶ原を三分するように2本の線がひかれ、それぞれの権利等を定めたものと推測され、入会地の重要さを示す貴重な地図である。 |
| 画像二次利用条件 | 著作権あり |
| リンク | 那須塩原市ホームページ |