県内文化資源詳細

大猷院・仁王門

代表画像
大猷院・仁王門

項目 内容
文化資源区分 絵画 / 洋画(西洋絵画含む)
名称 大猷院・仁王門
名称よみ たいゆういん におうもん
所在地 栃木県日光市山内2388-3 小杉放菴記念日光美術館
市町等 日光市
所有者/管理者 小杉放菴記念日光美術館
公開状況 施設にお問い合わせください
概要 沼辺強太郎《大猷院・仁王門》
明治後期
紙/水彩
46.0×33.0 ㎝

 沼辺強太郎(ぬまべ・きょうたろう、1869―没年不詳)は明治2年12月30 日(陰暦)、現在の宮城県仙台市に生まれた洋画家。号に〈陸沈〉。上京後、小山正太郎主宰の画塾不同舎に入門。1893(明治26)年の第5回明治美術会展に墨画の《景色写生》3点を出品。1904(明治37)年に3ヶ月間、富山県の魚津中学で図画教員(教諭心得)として勤務。その後太平洋画会に参加し、1907(明治40)年東京勧業博覧会へ、日光に取材したと思われる《杉並木》を出品しています。同門の吉澤儀造の葬儀関係の書類に沼辺の名があり、吉澤と交友があったようです。
 明治後期には、日光で外国人観光客向けの土産絵を描いており、小杉放菴が次のように証言しています。〈沼辺氏は短躯瘠身、大層な酒好き、利害の心まことに淡泊、日光町の旅館に下宿して、例の外人向きの水彩画を作つて居たとき親しくなつた、旅館の主近隣の顔役であつたが、これが沼辺老の人柄をことごとく尊信して、下にもおかぬ待遇であつた、売り絵の水彩を作るにあたつて、沼辺老の態度、ほんとの油絵と少しもちがはず、明暗色調、如法の正確を得ざれば筆を措かず、此点誰も感心をした、私も感心したが其如くには行かなかつた〉(「不同舎の人々」『随筆 帰去来』洗心書林1948)
 この頃、〈しゅせん〉という雅号を用いていたと伝わっており、小杉放庵記念日光美術館でも所蔵している「S.Numabe」サインの水彩画も、沼辺強太郎の作ではないかと考えられます。
 小杉放菴は、1905(明治38)年に〈沼辺陸沈或夕来りて、折りしも新たに栽えたる純白の百合を見て、君が意気も稍々退転の芽ざしを現はしぬと云ひしが、去る事もあるかしと思ひしのみ、日夕筆に飽いて友も来らぬ折、独り小園に立ちて自ら栽えたる花共の或は莟となり或は散り行くを点頭きて眺むる事の、いかに淡く清き趣もて我を慰むるよ〉と、田端の自宅に沼辺が訪ねてきたことを書いており(「吾小園」『天鼓』12 号)、この頃には沼辺は東京に戻っていたと考えられます。現在確認できる沼辺の最後の消息は、1914(大正3)年2月刊行の『現代日本美術家全録』(画報社)に記された〈東京本郷区駒込神明町一四〉という住所です。
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リンク 小杉放菴記念日光美術館