県内文化資源詳細
杉並木
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 文化資源区分 | 絵画 / 洋画(西洋絵画含む) |
| 名称 | 杉並木 |
| 名称よみ | すぎなみき |
| 所在地 | 栃木県日光市山内2388-3 小杉放菴記念日光美術館 |
| 市町等 | 日光市 |
| 所有者/管理者 | 小杉放菴記念日光美術館 |
| 公開状況 | 施設にお問い合わせください |
| 概要 | 吉田 博《杉並木》 1894-1899(明治27-32)年頃 紙/水彩 50.2×68.2 ㎝ 吉田 博(よしだ・ひろし、1876-1950)は、小杉放菴が画家となるきっかけを作った洋画家でした。現在の福岡県久留米市に生まれ、1894(明治27)年に東京の画塾・不同舎へ入門した吉田は、1899 年に仲間たちと渡米し、米国各地で開催した水彩画展で大成功を収め、帰国後は1901(明治34)年7月中旬に帰国。翌年、明治美術会を解消発展させた太平洋画会の設立にあたり中心的役割を果たしました。その後は1936(昭和11)年に日本山岳画協会を設立。1947(昭和22)年には太平洋画会会⾧となり、風景画家の第一人者として永く活躍しました。 日光へは何度か写生旅行で訪れており、若き小杉放菴と出会ったのは、吉田が初渡米する少し前のことでした。吉田に対抗してカンバスと絵具箱をもって大谷川を上るなど、吉田から強い刺激を受けた小杉は、同じ画塾で洋画を学ぶことを決意します。入門に際しては、吉田風の絵画作品《中禅寺の紅葉の図》を持参していったそうです。 吉田博の《杉並木》は、この時期に描いたと思われる、日光の杉並木を扱った水彩画で、遠方の空気へ消えゆく杉の連なりによって遠近感が強調されています。不同舎が得意としたこの手法は、当時「道路山水」と称され、「道」にポイントを置き、特別な名所ではない、ありふれた風景を絵画化していくことで、それまでの日本にはない、新しい風景画の視点を切り拓いていきました。 |
| 画像二次利用条件 | 著作権なし-契約による制限あり |
| リンク | 小杉放菴記念日光美術館 |