県内文化資源詳細

東照宮・陽明門

代表画像
東照宮・陽明門

項目 内容
文化資源区分 絵画 / 洋画(西洋絵画含む)
名称 東照宮・陽明門
名称よみ とうしょうぐうようめいもん
所在地 栃木県日光市山内2388-3 小杉放菴記念日光美術館
市町等 日光市
所有者/管理者 小杉放菴記念日光美術館
公開状況 施設にお問い合わせください
概要 河久保正名《東照宮・陽明門》
明治後期
紙/水彩
50.9×34.0 cm

 神奈川県生まれとされる。1876 年に国沢新九郎主宰の彰技堂で洋画を学んだ。1885~1894 年にかけて勧画学舎を開き、若き丸山晩霞や石川欽一郎、後の陶芸家板谷波山のほか、小舟杪吉、中山利壽、寺尾宗助といった門下生が学んだ。この間、1887 年に東京府工芸品共進会へ《日光陽明門》《裏見瀧》を出品しており、このとき日光との繋がりが出来たか。また妻からの感化でクリスチャンとなり、1890 年に描画手習い本『日曜学校用福音図解』を出版している。1890 年代に大蔵省印刷局に勤めながら、明治美術会や日月会に参加。1900 年パリ万国博覧会へ出品し、翌年にはトモエ会の結成に参加。印刷局退職後は日光に転居し、土産絵を描いて晩年を送る。太平洋画会の第5回展(1906 年)に《杉蔭》を、第6回展(1908 年)に《杉の森》を出品しているが、これらは日光の風景だったのかもしれない。現在確認できる最後の消息は、1914 年に刊行された『日本基督教徒名鑑』(中外興信所)の記録で、河久保は日本真光教会の委員、住所は日光町入町四軒町として記載されている。
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リンク 小杉放菴記念日光美術館