県内文化資源詳細

【アートカード用】三島通庸の肖像画

項目 内容
文化資源区分 絵画 / 洋画(西洋絵画含む)
名称 【アートカード用】三島通庸の肖像画
名称よみ みしまみちつねのしょうぞうが
所在地 栃木県那須塩原市三島5-1
市町等 那須塩原市
所有者/管理者 那須野が原博物館
公開状況 施設にお問い合わせください
アクセス方法 国道4号線三島交差点から塩原方面へ約㎞/東北自動車道西那須野塩原I.Cから西那須野駅方面へ約3㎞/JR宇都宮線西那須野駅または東北新幹線那須塩原駅からJRバス塩原温泉バスターミナル行き「三島農場」下車徒歩3分/JR宇都宮線西那須野駅からゆ-バス西那須野内循環線「那須野が原博物館」下車、徒歩すぐ。
概要 長原 孝太郎(1864-1930)岐阜県不破郡垂井町岩手(旧:美濃国不破郡岩手村)
《三島通庸の肖像画》1913(大正12)年、那須野が原博物館
カンヴァス、油彩、73.0×53.2cm

ひとこと解説:近代洋画家による、地元の人々に愛された人物の肖像画
キーワード:人物、薩摩、県令、近代、肖像画、
県内関連地:那須塩原市

この作品のモデルとなった三島通庸は、山形・福島・栃木の県令(現在の県知事にあたる)や警視総監を務め、日本の近代化を力強く推し進めた人物です。1880(明治13)年に現在の那須野が原で農場を開き、三島農場などを経営していました。1888(明治21)年に亡くなると、後に三島農場に建てられた三島神社にまつられました。長原は、1913 (大正2) 年に三島通庸の肖像画の制作を依頼され、完成した作品は三島神社に奉納されました。作品に描かれた鋭いまなざしと固く結ばれた口元から三島の強い意志が伝わってきます。また、色つやの良いはだ、豊かな髪やあごひげは、生きているように生き生きと描かれています。しかし、この作品が描かれた時に三島はすでに亡くなっていて、写真をもとに描かれたと思われます。なお、三島の長男三島弥太郎が亡くなった時も、長原に再び肖像画の制作が依頼され、完成した作品は三島神社に奉納されました。

1864(元治元) 年、美濃国不破郡岩手村(現在の岐阜県不破郡垂井町)に生まれました。長原は、小山正太郎や原田直次郎、そして海外留学から帰国した黒田清輝に洋画を学び、白馬会などで活躍しました。その後東京美術学校教授となり、多くの学生に洋画を教えました。一方で、動物や植物の標本の写生も行い、漫画雑誌『とばゑ』を刊行して社会の出来事や事件を遠回しに批判した絵を描くなど、さまざまな活動をしました。1930(昭和5) 年に東京で亡くなりました。