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小田原藩家老服部十郎兵衛宛二宮金次郎書状

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小田原藩家老服部十郎兵衛宛二宮金次郎書状
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小田原藩家老服部十郎兵衛宛二宮金次郎書状_箱(表)
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小田原藩家老服部十郎兵衛宛二宮金次郎書状_箱(裏)
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項目 内容
文化資源区分 歴史資料 / 古文書
名称 小田原藩家老服部十郎兵衛宛二宮金次郎書状
名称よみ おだわらはんかろうはっとりじゅうろうべえあてにのみやきんじろうしょじょう
所在地 栃木県日光市今市743
市町等 日光市
所有者/管理者 今市報徳二宮神社
公開状況 施設にお問い合わせください
概要 二宮金次郎(尊徳)は、文化9年(1812)に小田原藩家老の服部家へ奉公に出た。文化12年(1815)には服部家の家政再建案を作成し、文政元年(1818)からは実際に家政再建仕法に携わった。文政3年(1820)に服部家の家政再建に一区切りをつけた金次郎は、翌年から小田原藩主の分家筋にあたる旗本の宇津家の知行所である桜町領(現在の真岡市)における農村復興事業に着手し始めた。
本史料は、宇津家の農村復興事業を実施している最中の天保期における、小田原藩家老の服部十郎兵衛(天保11年に「清兵衛」に改名)と二宮金次郎の関係を如実に示すもので、金次郎が服部に宛てた苦悩の自筆文書である。金次郎は、この書状の中で、かつて若き十郎兵衛に治者の心得を種々伝授してきたにもかかわらず、今もなお借財に苦慮している十郎兵衛を厳しく叱責している。そのうえで、借財返済の具体案を提示して、服部家を何とか救済しようとしている。なお、この書状は、桐箱の墨書から、大正5年(1916)10月20日に、嫡孫二宮尊親から今市報徳二宮神社に奉納されたものであることがわかる。
〔参考文献〕今市市史編さん委員会編『いまいち市史』通史編・別編I(今市市役所、1980年)。大藤修著『二宮尊徳』(吉川弘文館、2015年)。日光市二宮尊徳記念館編『日光市二宮尊徳記念館 資料叢書2 今市報徳二宮神社所蔵資料(古文書編)』(日光市二宮尊徳記念館、2026年)。
画像二次利用条件 著作権あり
リンク 日光市ホームページ内「二宮尊徳記念館展示解説パンフレット」