国・県指定等文化財詳細
木造 千手観音立像
木造 千手観音立像
項目 | 内容 |
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文化資源区分 | 彫刻 / 彫刻 |
文化財区分 | 県 指定 有形文化財(彫刻) |
文化財名称 | 木造 千手観音立像 |
文化財名称よみ | もくぞうせんじゅかんのんりつぞう |
指定年月日 | 1966年03月18日 |
所在地 | 芳賀郡市貝町市塙 |
市町等 | 市貝町 |
所有者/管理者 | 永徳寺 |
公開状況 | 非公開 / 公開は62年ごとのご開帳。前回は平成22年11月。 |
アクセス方法 | JRバス茂木行地蔵橋下車徒歩50分。真岡鉄道市塙駅下車徒歩70分。観音山梅の里の隣接地。 |
概要 | 寿命院は村上城跡の麓の高台にある。境内の東に三間四面の観音堂があり、その本尊がこの十一面千手観音である。 頭上仏は、その一つを残して、他はことごとく失われ、四十二臂もまた本体から離脱、漆箔は剥落してしまっている。仏の肌には木目もあらわで、この観音の上に過ぎし歳月の長さを痛感させられる。 あらゆる装身具を振りすてて立った像ではあるが、一木彫刻の像から自然に発揮する 重厚感は、まずわれわれの心を打つ。相好もまたすぐれている。高く大きく円を描いた英知の象徴のような眉の下には、半開の切長の彫眼が沈思している。驕らざる鼻梁の下には、今軽く閉じたばかりのような唇がある。豊かな頬には、観音の慈悲があふれて見える。 像高一七二㎝、一木作りであるが、像の右側は、肩から股に沿うて縦に矧いでおり、背部は脚部に至るまでえぐっている。脚部にかかる条帛や足先の指や爪などを未完成にしているのは、最後的仕上げは木心乾漆像の場合のごとく、漆と木屑(こくそ)によったためであろう。背部を縦にくりぬいたのは干割れを防いだもので、大和の室生寺などに見る古い手法で、平安朝中期の制作と考えられる。 寿命院は寺伝によれば、弘仁六年(八一五)行基の開基、観音堂は徳一大師の創立である。天台宗の寺であったが、寛永19年(1642)に千本密蔵院一一世祐貫法師を迎えて、真言宗に改宗、大慈山千手院永徳寺と号していたのを、現在の寿命院永徳寺と改称したとのことである。 いずれにしても密教の尊像としての千手観音として伝来されたわけである。 観音堂には前立ちとして木造 千手観音立像がある。 |
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